【メルマガ】「風評被害キャンペーン」が分断するもの 第117号

【メルマガ】「風評被害キャンペーン」が分断するもの 第117号

3月14日にメルマガ第117号を発行しました。

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今日の一文「風評被害キャンペーンが分断するものとは」

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読者の中でも、310日に放映されたNHK Eテレ「忘却にあらがう」という番組をご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。何人もの原発裁判の原告を取材した番組でしたが、その中で、福島で代々続く農家を営んでいる根本さんのおっしゃっていた「「風評被害キャンペーン」への強い違和感」というコメントに考えさせられました。

その根本さんの「違和感」についてまとめてみると:

福島の農地は実際に放射性物質で汚染された。だから福島の農作物を消費者が避けることは決して、根拠のない「風評」ではない。自分たちはまだ汚染されたところで農業を続けている。確かに検出されるセシウムは放射性物質の基準値を下回る。

しかし、少しでもセシウムが検出されるのであれば食べたくない人は食べない。そこに「風評なんだから、なんで食べないの?」という風評被害キャンペーンを行うと、「食べる側が無知だから食べない」と、その善意のキャンペーン自体が、作る側と食べる側の分断になってしまう、というものでした。さらに、農家が背負った実害を「風評」としてしまうと加害側を免罪してしまう、とも。

これらの言葉を重く受け止める必要があるのではないでしょうか。

私たちが何気なく使いがちな「風評」という言葉は、正確には「スティグマ(Stigma)」のことでしょう。一旦忌諱されるとそれが長くタブー視され、避けられてしまうという、文化人類学では知られたタームです。

わたしが学んだ欧州では、言葉の定義について厳しく指導されました。国連のIAEA本部でも「Safe(安全)」についての定義をどうするかで、てんやわんやの議論が行われるほど、欧米の国では言葉の使い方やニュアンスにこだわります。

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2018-03-14T13:09:58+09:00 2018.03.14|Categories: メルマガ|