1月10日にメルマガを発行しました。
2019/1/10【安全・安心の時代:平成を振り返って】リテラジャパンメルマガ 第131号
http://literajapan.com/mail_magazine
この春に「平成」が終わろうとする中、30年を振り返る特集が多く見られます。
皆さんにとってはどんな時代でしたか?
個人的には、平成とは「安全・安心」の時代だったのではないかと考えます。
なんとなくわかった気になるが、摩訶不思議なこの「安全・安心」。
なぜ「摩訶不思議」かは著書を読んでいただき(宣伝です!)、この「安全安心」メンタリティがどうイノベーションを阻害するかを考えています。
新しいもの(イノベーション)を生み出すにはリスクを伴います。
アメリカでベンチャーが成功している理由は、失敗を許容するメンタリティと仕組みがあるからでしょう。
「頭をひどく打たれて転んでも、お尻の泥をはたき、もう一度バッターボックスに立ち、今度はもっと大きく振るんだ」。今注目のビジネス書 スコット・ギャロウェイ著『The Four(和文はThe four GAFA)』の中での記述にあるよう、失敗しても立ち上がることを「善」とする風土がアメリカでのベンチャー企業の成功を導き出しているようです。
他方、日本ではベンチャーがなかなか育たないと言われますが、それはリスクがあることを前提とし、リスクを取ることを歓迎する環境があまりないからでは?と感じます。
かと言って、日本人がリスクを取らない民族だ、のような言い方もしっくり来ません。なぜなら、わたしのようにバブルの時代を知っている人ならば、とんでもない(途方もない壮大な)リスクを平気で取る時代がわずか30年ほど前にはごく普通にあったことを知っているからです。
そうすると、平成という時代の空気・雰囲気としての「安全・安心」がイノベーションを阻んでいる。そう考えることができます。安全でも安心せず、時にはコストを度外視してまでもとことん安全を極めよ、という世論が、新しいものを作り出すためにセットになってくる「リスク」や「失敗」を許さない。
ですから、日本経済の復活にはイノベーションが切り札だ、と言っても、それを許容する環境が希薄な中では、やっぱりイノベーションは起きづらいのではないと考えられます。
そして、「安全・安心」に30年もかけてならされてしまった環境で(厳密にいうと、バブルの崩壊後の1997年頃から。これも著書をご覧ください!)、今後の日本を支えるだろう技術革新をどう起こしたらよいのでしょうか。
考えるだけで途方に暮れます。が、ひとつ、お金をかけずにできることがあります。
「安全・安心」の意味、その弊害を「考える」ことではないでしょうか。 (終わり)
リテラジャパンHPより無料ご登録ください。http://literajapan.com/mail_magazine